テロの犠牲者を悼むため、独のブランデンブルク門にイスラエルの国旗が映し出される
今週の日曜日、エルサレムでイスラエル兵士の集団にトラックが突っ込み、死傷者が出たテロ事件。その犠牲者を悼むため、ドイツを象徴する場所にイスラエルの国旗が投影された。
ツイッターなどに写真が掲載される
その場所とはベルリンにあるブランデンブルク門。ここは長い歴史が刻まれたドイツを象徴する場所とされている。
そこに今週の月曜日、エルサレムで起きたテロ行為に対し団結の意思を示すためにイスラエルの国旗が映し出された。
しかしここにはかつて多くのナチスドイツの国旗が翻り、そのナチスは多くのユダヤ人を殺害している。
そのためツイッターでは時の移り変わりに思いを馳せるかのように、ナチスがいた当時と今回とを比べる写真が投稿された。
Unbelievable that both these sights could be witnessed in just a single lifetime. pic.twitter.com/Go1l98YP4H
— Eylon Aslan-Levy (@EylonALevy) 2017年1月9日
過去のテロ事件でも国旗を投影
もっともブランデンブルク門は、ニューヨークのエンパイア・ステート・ビルディングやフランスのエッフェル塔のように、これまでもテロの犠牲者を悼むため被害にあった国の国旗を映し出してきたという。
実際、2015年11月に起きたパリ同時多発テロでもフランスの国旗が映し出され、先日起きたイスタンブールのテロ事件後も、この門にはトルコ国旗が投影されていたそうだ。
平和の象徴としての門
ブランデンブルク門は1791年に平和の象徴として、当時プロイセン王だったフリードリヒ・ヴィルヘルム2世の命令で作られたという。
高さ26m、幅65m、奥行き11mという巨大な門で、その上には4頭立ての馬車に乗った平和の女神像が設置されたそうだ。
当時は凱旋門としてではなく「平和の門」という位置づけだったが、1806年にナポレオン軍によってベルリンが征服された際に、戦利品として女神像がパリに持ち去られてしまう。
戻された後、「戦勝」のシンボルに
その後、プロイセン軍がナポレオンを撃退し、パリに侵攻した際に女神像を取り返し、再びベルリンに戻されたのだが、その際、平和の女神は「戦勝」と「凱旋」のシンボルに変えられ、杖と民族の象徴である鉄十字紋章が付けられたという。
また1933年、ヒトラーが政権を奪取した時にはナチスのシンボルとなり、女神から「平和」の文字が消されたそうだ。そしてこの門は、ナチスドイツのプロパガンダとして利用されていく。
さらに東西冷戦時には東ドイツがベルリンの壁を構築し、ブランデンブルク門も通行不可能に。しかし1989年11月にベルリンの壁が崩壊したため、門は完全に開かれ、その後「東西統一のシンボル」になったという。
犠牲者は全て20歳代の前半
今回、エルサレムで起きたテロ事件で亡くなったのは4人。いずれも士官候補生で3人が20歳、1人が22歳だったと言われている。
またケガをした人も15人に及び、その中には重傷を負った者も含まれているという。
そして亡くなった兵士の遺体は今週の月曜日に、多くの人に見守られながら軍の墓地に埋葬されたそうだ。
出展元:THE TIMES OF ISRAEL:Berlin emblazons Israeli flag on Brandenburg Gate after Jerusalem attack(1/9)
出展元:Wikipedia:ブランデンブルク門
出展元:ライブ旅のコラム:「シンボル」の女神像」