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【ノーベル賞作家】大江健三郎氏が死去、英紙が報じた内容とは?

【ノーベル賞作家】大江健三郎氏が死去、英紙が報じた内容とは?
Twitter/日経 写真映像/井上昭義

作家の大江健三郎氏が3月3日、老衰のために亡くなった。88歳だった。

 

日本人で2人目、ノーベル文学賞

 

大江氏は、1935年、現在の愛媛県内子町で生まれ、東京大学在学中に発表した作品『奇妙な仕事』で注目を集め、1958年には『飼育』で芥川賞を受賞した。

 

その後も、数々の文学賞を受賞し、新しい世代の作家として、戦後の日本文学界をリード。

 

障がいのある子と生きる決意をした男性を描く『個人的な体験』や、四国の森を舞台にした『万延元年のフットボール』などを発表し、数々の文学賞を受け、翻訳されて海外でも注目されたという。

 

そして1994年には、川端康成氏に続いて、日本人で2人目となるノーベル文学賞を受賞した。

 

核兵器や平和の問題にも向き合う

 

また大江氏は、戦後民主主義の思想を基に平和、護憲を主張。『ヒロシマ・ノート』『沖縄ノート』を著し、核兵器や平和の問題に対しても、文学者の立場から向き合ったという。

 

また憲法改正に反対する「九条の会」の発起人に加わり、東日本大震災後は脱原発を積極的に訴え、デモの呼びかけ人として名を連ねるなど、社会問題に対しても積極的に発言を続けてきたそうだ。

 

英紙「ガーディアン」も報じる

 

大江氏の訃報について、イギリスの「ガーディアン」紙も、記事を投稿している。(以下は記事の要約となる)

 

日本文学の巨人であり、ノーベル文学賞を受賞した大江健三郎氏が88歳で亡くなった。

 

大江の作風は、ウィリアム・フォークナーに似ていると言われ、彼自身も「個人的な事柄から出発し、それを社会、国家、世界と結びつける」と語っていた。

 

小説やエッセイの多くは、彼の人生を形作る出来事に触れている。例えば、ノーベル賞委員会が彼の最高傑作と認めた『叫び声(The Silent Cry)』などの小説では、戦争が日本社会に与えた影響を、また息子・光の誕生では、障がい児の父親としての自身の経験を小説『個人的な体験』『静かな生活』で探求することになる。

 

サルトルやアメリカ文学の影響を受け、大江は多くの権利を奪われたグロテスクなアンチヒーローを作り出した。(略)そして天皇制を批判し、性描写を用いて日本を哀れで従属的なものとして描いたことから日本の保守派の標的になった。

 

1961年、前年に起きた社会党委員長の暗殺事件に着想を得た小説『セブンティーン』を発表した後、殺害予告を受け、東京大学で講義中に身体的暴行を受ける。

 

1970年に発表したエッセイ『沖縄ノート』では、1945年に日本軍が沖縄の民間人に自殺するよう説得したことを詳述し、2005年に退役将校2人から訴えられたが、3年後、大江に対するすべての告訴は棄却された。

 

1994年にノーベル賞を受賞後、大江は「民主主義より高い権威や価値を認めない」という理由で日本の文化勲章を受章しなかった。これは日本でスキャンダルとなり、大江は殺害予告を受けた。

 

大江は70歳代後半まで執筆を続け、2013年に最後の著書『万年様式集』を出版。戦争や原発、日本のナショナリズムの復活に反対し、戦時中の朝鮮人「慰安婦」への公的補償を求め、日本がアジアの隣国との和解に力を入れるよう呼びかけたという。

 

ネットの反応とは?

 

そんな大江氏の訃報に、ネットでもさまざまな反応が寄せられている。(直接ツイートで紹介する)

 

 

大江氏は、冷戦時代、核兵器の恐怖に覆われた世界の下で、性的なものも含めた「生身」の人間を描き続け、絶望から希望、差別から共生への物語を表現してきた作家といえるのではないだろうか。(了)

 

出典元:The Guardian:Kenzaburo Oe, Nobel prize-winning Japanese writer, dies aged 88(3/13)

出典元:NHK:ノーベル文学賞 大江健三郎さん 死去 88歳(3/13)

出典元:共同通信:作家、大江健三郎さん死去 ノーベル文学賞、言論活動も(3/13)

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