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ノートルダム大聖堂火災後、ドイツで戦火から完璧に復興を遂げた聖母教会に注目集まる

ノートルダム大聖堂火災後、ドイツで戦火から完璧に復興を遂げた聖母教会に注目集まる
Wikipedia Common

花の都パリの象徴的存在であった、ノートルダム大聖堂が炎に包まれてから早10日以上。

 

着工から850年以上という非常に長い歴史を持ち、世界遺産にも登録されている大聖堂の一部消失には、フランス国内のみならず世界各国から悲しみの声が上がっていた。

 

そんな中、第二次世界大戦の戦火によりほぼ完全に消失してしまいながらも、完璧な再建を遂げることのできたドイツ・ドレスデンの聖母教会に今、再び注目が集まっている。

 

ドレスデンの聖母教会とは?

 

ドイツ東部ドレスデンに位置する聖母教会の建設は、1743年にまで遡る。

 

1880年の聖母教会(Wikipedia Common)

 

バロック様式の美しい外観を誇った歴史ある教会が、原型を留めないほどまでに破壊されてしまったのは、第二次世界大戦の最中のこと。

 

連合国側によりドレスデンの町へと落とされた約65万にも及ぶ焼夷弾が熱を発し、外部との温度差が1000度ほどにも達した教会は、1945年2月15日午前10時頃倒壊してしまう。

 

しかし第二次大戦の終結後も、東ドイツ側に位置し共産主義政権の統治下に置かれていたドレスデンにおいて、聖母教会の再建は行われず、結果40年以上も瓦礫のまま放置されることになってしまう。

 

崩壊し無残な姿を晒す聖母教会(Wikipedia Common)

 

ところが1989年、ベルリンの壁が崩壊し、1990年には東西ドイツが統一。

 

東ドイツの支配体制に対する平和運動において、反戦の象徴とみなされていた聖母教会再建に向けた機運は一気に盛り上がることとなる。

 

さらに聖母教会再建に向けては、世界中でその支援を目的とする団体が設立。寄付額も1億5000万ドル(約167億円)にも達し、それらの力を借りた聖母教会は1993年、ついに再建が開始される。

 

Wikipedia Common

 

それから10年以上もの時を経た2005年、聖母教会はようやく内部外部共に復元が完了することとなった。

 

ノートルダム大聖堂の復興にヒントとなる?

 

それではパリのノートルダム大聖堂が復興を遂げるため、完全なる破壊から再建を遂げた聖母教会の事例から得るべきヒントとは何だろうか。

 

聖母教会の再建に携わった技術者の一人Martin Hertenstein氏は、再建においてはオリジナルの設計図が存在しなかったと共に、崩壊後にも残されていた石材を可能な限り利用したことについて言及。

 

さらに「現代の建築基準に則りながら、18世紀の教会を再建する方法を見出すというのは、必ずしも可能なことではなかった」とし、「時には現代の要素を混ぜ合わせなければならなかった」としている。

 

Pixabay

 

一方ドレスデン工科大学のMartin Curbach氏は、ノートルダム大聖堂再建に関わる最大の問題点を指摘する。

 

「パリの件において最も困難であると考えられるのは、ノートルダム大聖堂再建のため求められる技術を持つ必要な数の職人を探し出すことだと考えられる」としている。

 

またCurbach氏によると、再建にかかる費用と期間においては、火災が大聖堂の石材にもたらした影響を見極めることが重要になるとのこと。

 

「表面を見ただけでは、石材の内部の状態を見極めることが出来るとは限らない」というCurbach氏。

 

「全ての石材を分析するためには、少なくとも1年から2年の時間がかかるだろう」

 

Curbach氏はノートルダム大聖堂の再建を完了させるには、10年以上の年月がかかるのではとみている。

 

火災発生時のノートルダム大聖堂(Wikipedia Common)

聖母教会の事例とは異なるノートルダム大聖堂再建

 

一方、聖母教会の事例とノートルダム大聖堂の事例は全く異なっていると指摘するのは、遺跡の専門家でドイツのバンベルク大学で教授を務めるStephan Albrecht氏だ。

 

「表面的にはドレスデンの状況はパリに似通って見えるかもしれないが、現実的には全く異なっている」というAlbrecht氏。

 

原型を留めないほどに破壊されてしまった建造物を一から再建し直すことは比較的容易である一方、尖塔や屋根の部品などを新しいものへと変える作業はより複雑であるとしている。

 

炎を上げて燃えるノートルダム大聖堂の尖塔(Wikipedia Common)

 

一方、戦争の影響等により破壊されながらも、かつてと変わらない美しい姿を取り戻した建築物はドレスデンの聖母教会だけではない。

 

この他にも1944年、ナチスドイツの侵攻により破壊されたポーランドの首都ワルシャワの旧市街や、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中の1992年、サラエヴォ包囲により焼け落ちた国立図書館などは、欧州で戦後原型を取り戻す形で復興した遺産として知られている。

 

再建には数多くの困難が立ちはだかってはいるものの、これまでにも成功裏に再建された歴史的建造物が複数存在するのは事実だ。ノートルダム大聖堂が聖母教会のように、威厳ある姿を取り戻す日が一日も早く訪れることを願うばかりだ。(了)

 

 

出典:Los Angels Times:To rebuild Notre Dame after its fire, French can look east to Dresden’s Frauenkirche(4/22)

出典:Boredpanda:As Paris Cleans Up After The Notre Dame Fire, Here’s How Dresden Rebuilt Its Church Which The Allies Bombed In WW2

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