ウクライナのゼレンスキー大統領が、戦時中の執務室を公開【動画】
ウクライナのゼレンスキー大統領は、ロシア侵攻から1年を迎えるにあたり、自らの執務室を公開した。
執務室で侵攻当時の状況を語る
執務室の様子は、ウクライナのジャーナリスト、ドミトロ・コマロフ氏によるドキュメンタリー番組「Year」で公開され、そこにはゼレンスキー大統領の寝室やクローゼット、オフィススペースなどが映し出されている。
まず執務室の机の上には、飛行機の模型や、彼と妻のオレナ夫人、二人の子供の写真、そしてイギリスの指導者、ウィンストン・チャーチルの胸像が置かれていた。
机の周りには、戦車の模型やウクライナの国旗も飾られており、ゼレンスキー大統領は、コマロフ氏のインタビューに答え、侵攻当時の状況について次のように述べた。
「詳細を思い出すのはとても難しい。すべて(ロシア軍による侵攻)が始まったと連絡を受けました。妻、家族、息子、娘が(眠っている)状態で、私は目を覚ましました。子供たちを起こして、全ての荷物をまとめようと考えました。子供たちに何が起こっているのか、戦争が始まったことを伝えるためにね。彼らは大人なのだから、何が起こっているのか理解しなければならない。私はすぐに出て行きました。家族を愛しているが、大統領としてここ(執務室)にいることが最優先でした」
しかしその後、治安部隊は、ゼレンスキー大統領と家族が離れていることが危険だと判断。数時間後に、家族は合流できたという。
戦時服が掛けられたクローゼット
またゼレンスキー大統領は番組において、自らのクローゼットも披露。そこはロシア侵攻が始まってから常に着ていた戦時服で埋め尽くされ、緑と黒を基調とした洋服やミリタリーブーツも置かれていた。
また侵攻が始まる前に着ていたスーツも、このクローゼットにしまってあるという。ゼレンスキー大統領は、戦時中の服装に着替えた時のことについて、インタビューで次のように語っている。
「あの時、心の中であらゆることが変わっていたんです。すべてが変わっていた。人生が変わってしまったんです。そして以前のように戻ることは不可能でした」
また「最後に着たスーツ」について「シンボル」として持っているとし、「我々はすぐに勝つから、またスーツを着るんだ」と述べたという。
流しのある小さな寝室
その後、ゼレンスキー大統領は、シングルベッドと流し台のある小さな寝室も紹介。部屋を示しながら、大統領は「私はここに住んでいる。ここが私の家です。1年間ここに住んでいるんです」と語った。
ロシアの侵攻が始まってから、ウクライナ大統領に対する暗殺計画が浮上し、ゼレンスキー氏は各国首脳や治安部隊からも、身の安全を図るために首都キーウを離れるよう、警告を受けていたと言われている。
しかし結局、ゼレンスキー大統領は警告を聞かず、現在も首都キーウにとどまり続けている。そのことについて、ゼレンスキー大統領は次のように振り返っている。
「私は荷造りするように言われました。私がターゲットだからです。彼ら(治安部隊)は私を安全な場所に連れて行くために、全力を尽くさなければならないのです。私は、何が起こるか、また自分のことは考えませんでした。これは勇気の問題ではありません。私は自分が去った結果、何が起きるのかを考えたのです。その責任は、自分にあります。私が去ったとしても、誰がそう指示したのかについて、問う人はいないでしょう。(しかし)自分の国を捨てたという結果だけは残ります。私は、それは裏切りだと思います」
下の動画では、中盤と後半は、政府関係者の証言も紹介されている。(了)