ガンジーも人種差別主義者だ!イギリスのある街で像の撤去が求められる
インド建国の父であり、非暴力主義を唱えたマハトマ・ガンジー。イギリスのある街では、彼も人種差別主義者だったとして、像の撤去が求められている。
すでに5000人の署名が集まる
その街とは、イングランド中部にあるレスター市だ。
ここではガンジーの像の撤去を求める請願に対し、すでに約5000人の署名が集まったという。
この請願はオンラインで行われているようだが、そこではガンジーが「ファシスト」で「人種差別主義者」、「性的犯罪者」であると述べられているそうだ。
実は昨年もマンチェスターに住む学生が、黒人に対して差別的だったとして、ガンジーの像を撤去するよう訴えを起こしている。
南アフリカ滞在中、黒人に偏見を持っていた?
実はガンジーに関しては、数人の学者によって黒人に対して差別的であるとの報告がなされていたという。
その報告では19世紀後半、ガンジーが南アフリカに住んでいた時、地元の黒人に対し軽蔑的な見解を抱いていたことが示されたそうだ。また訴えを起こしたマンチェスターの学生も、ガンジーが初期の文献で、アフリカの人々のことを「野蛮」で「文明化されていない」「汚い」と書いていたと主張している。
さらにガンジーの伝記作家で、孫でもあるRajmohan Gandhi氏も以前、彼(ガンジー)が当時、南アフリカの人々への偏見を抱いていたと認め、「当時、彼は無知だった」と述べている。
一方でオックスフォード大学のFaisal Devji教授は、当時の記録は複雑で、ボーア戦争やズール―戦争(※)の時にガンジーはアフリカの人々に同情・共感していたと主張し、次のように述べている。
「ガンジーも不完全な人間だったのです。しかし不完全だからこそ、現代の多くのインド人よりも、彼は革新的で進歩的だったのです」
レスター市にはまだ像の撤去に関する請願は提出されておらず、地元選出の国会議員である労働党のClaudia Webbe氏も、「地元の黒人のコミュニティも像の撤去を望んでいない」と述べている。(了)
※ボーア戦争(1880年)とは南アフリカで、イギリスがオランダ系移民の子孫であるボーア人と戦った戦争。ズール―戦争(1879年)も南アフリカで、イギリスとズールー王国が争った戦争。
出典元:BBC:Calls to remove ‘racist’ Gandhi statue in Leicester(6/12)