第一次世界大戦中に書かれた手紙、ボトルに入った状態で発見【オーストラリア】

オーストラリアの沿岸で、昔の手紙が入ったボトルが発見され、注目を集めている。
西オーストラリア州のビーチで発見
デブ・ブラウンさんによれば、10月9日に西オーストラリア州の町、エスペランス近郊にあるウォートンビーチで、そのボトルを発見したという。
ブラウンさんの家族はそのビーチで定期的に清掃を行っており、9日には夫のピーターさんと娘のフェリシティさんが、四輪バイクに乗り、ビーチでゴミ拾いをしていたそうだ。
その際に見つかったボトルには、第一次世界大戦中、2人のオーストラリア兵がフランスの戦場へ向かう船の中で書いた手紙が入っていたという。
WWI soldiers’ messages in a bottle found on Australian beach more than 100 years later: https://t.co/A6TBKeVDNQ pic.twitter.com/Jy53lXhUwi
— Local 12/WKRC-TV (@Local12) October 30, 2025
2人の二等兵が書いた手紙
手紙の日付は1916年8月15日となっており、書いたのはマルコム・ネヴィル二等兵(当時27歳)とウィリアム・ハーレー二等兵(当時37歳)とされている。
その手紙は鉛筆で書かれ、内容も明るく、ネヴィル氏は母親に「とても楽しい時間を過ごしています。食事も今のところとても美味しいです。ただ、海に埋めて(落として)しまった一食を除いては」と書いていたという。
またネヴィル氏は、「船が海で揺れていたが、自分たちはとても幸せだ」といった内容を綴っており、ハーレー氏は「発見者の皆さんも、今の私たちと同じようにお元気でいらっしゃいますように」と書いていたという。
そしてネヴィル氏は、このボトルの発見者に対し、南オーストラリア州の町、Wilkawattに住む彼の母親、ロバーティーナ・ネヴィルに手紙を届けるよう依頼していたそうだ。
2人の運命とは?
彼らが乗っていた兵員輸送船「HMAT A70バララット」号は、1916年の8月12日、南オーストラリア州の州都アデレードを出港。彼らは、第48オーストラリア歩兵大隊の増援部隊として、ヨーロッパの西部戦線へ派遣されたという。
しかしその1年後、ネヴィルさんは戦死し、ハーレーさんは2度負傷したが戦争を生き延び、1934年にアデレードで、癌により亡くなったそうだ。
デブ・ブラウンさんによれば、ボトルは新品同様の状態で、フジツボも一切ついていなかったという。そのため、彼女はボトルが遠くまで流されず、おそらく陸に打ち上げられ、1世紀以上もの間、砂丘に埋もれたままになっていたのではないか、と推測している。
その後、この手紙はネヴィルさんとハーレーさんの親族に送られたという。ハーレーさんの孫娘、アン・ターナーさんは、家族がこの発見に「本当に驚愕している」とし、次のように語っている。
「本当に信じられません。本当に奇跡のようで、祖父が墓の中から手を差し伸べてくれたような気がします」
ネヴィルさんの甥の孫にあたるハービー・ネヴィルさんも、この「信じられない」発見によって家族が1つになった、と語っていたという。(了)
出典元:ABC News:WWI soldiers’ messages in a bottle found on beach more than 100 years later(10/29)


























