ジャン=リュック・ゴダール監督が幇助により安楽死、スイスの自宅で
フランスを拠点に活動していた有名な映画監督、ジャン=リュック・ゴダール氏が先日、亡くなった。91歳だった。
自ら望んだ幇助による死
フランス系スイス人のゴダール監督は9月13日、スイスの自宅で、妻のアンヌ=マリー・ミエヴィルさんのそばで、安らかに息を引き取ったという。
フランス・メディアの「リベラシオン」は、ゴダール氏の死はスイスで合法とされる幇助(アシスト)による安楽死だとし、次のような家族の言葉を伝えている。
「彼は病気ではなく、単に疲れていたのです。だから、彼はそれ(人生)を終わらせる決断をしたのです。それは彼の決断であり、そのことを(皆に)知られることが、彼にとって重要だったのです」
一方、ゴダール氏の弁護士パトリック・ジャンヌレは、彼の死が「複数の障害を伴う病理」によるものだと述べている。
“Le cinéma n’est pas à l’abri du temps. Il est l’abri du temps.”
Jean-Luc Godard, 1930-2022 pic.twitter.com/qHEpF1gqbQ— La Cinémathèque (@cinemathequefr) September 13, 2022
ヌーベルバーグの中心人物
1930年にパリで生まれたゴダール氏は、スイスのレマン湖畔にあるニヨンで育ち、学校で学んだという。
1949年に学校を卒業してパリに向かったゴダール氏は、戦後パリで繁栄した知的な「シネクラブ」に居場所を見つけ、さまざまな映画人と交流。その後、「カイエ・デュ・シネマ」など、新しい映画雑誌に執筆するようになったそうだ。
1960年には、初の長編映画『息もできない(À bout de souffle、邦題:勝手にしやがれ)』を発表。この映画は1959年にパリの街角で撮影され、人工照明をほとんど使わず、脚本は毎日書き加えられていったという。
『息もできない』は公開と同時に社会現象となり、主役のジャン=ポール・ベルモンドをスターに押し上げ、ゴダール氏自身もベルリン映画祭で監督賞を受賞することになった。
その後、ゴダール監督は、映画に革命をもたらした映画製作運動「ヌーベルバーグ」の中心人物となり、精力的に次々と作品を発表していった。
フランスのエマニュエル・マクロン大統領は、ゴダール氏の死を受けて、「我々は国宝、天才の眼を失った。ゴダールは映画の巨匠であり、ヌーベルバーグの中で最も象徴的な存在だった」と語っている。(了)
出典元:The Guardian:Jean-Luc Godard, giant of the French New Wave, dies at 91(9/13)