長い頭蓋骨の謎が判明?ハンガリーの村がローマ帝国崩壊後の人々を受け入れていた
現在のハンガリーに位置する古代の墓地からは、頭の長い奇形の頭蓋骨が発見されており、その謎の解明に向け研究が行われていた。
そのような中、この頭蓋骨がかつてのハンガリーの地に住んでいた現地住民と古代ローマ人との交流を表すものであることを示す研究が明らかとなった。
1つの墓に3つの異なる文化グループが存在
現在のハンガリー西部トルナ県セクサールド近郊の村、Mözsに位置するMözs-Icsei dülő墓地は、紀元後430年頃に設立。その僅か40年後の470年頃に放棄された。
これは東西に分裂したローマ帝国のうち、西ローマ帝国が滅亡を迎える直前の時期に当たると同時に、ゲルマン系からスラヴ系、さらにはフン族といった多くの民族が移動する民族移動時代の初期にも当たる。
この時代はパンノニア地方と呼ばれる地域の一角を担っていたハンガリーにも、遊牧民であったフン族が到来し、短命政権を成立させていた。
一方、今回の研究ではMözs-Icsei dülő墓地の考古学的調査を行った後、同位体分析と呼ばれる分析法に自然人類学上の見地を加え、墓地の研究を行った。
すると2〜3世代により構成されるこの古代の文明の間には、”著しい多様性”があることが明らかになったという。
研究によると、同墓地の96もの埋葬地は3つの文化的に異なるグループに分類されるという。
その一つ目のものは煉瓦造りのローマ式で埋葬された原住民のものであった一方、2つ目のグループは10年ほど後に同地にやって来た12人の外国人、そして3つ目のグループは2つのグループより後のものであり、様々な外国の伝統とローマの文化が入り混っていることが判明したという。
奇形の頭蓋骨が持つ意味とは…
しかしMözs-Icsei dülő墓地に3つの異なる文化が存在するというのは、一体どのような意味を持つのだろうか。
さらに同墓地に埋葬されていた長い頭蓋骨は、一体何なのだろうか。
この謎に関わるMözs-Icsei dülő墓地の歴史的背景について、研究報告書は“人口が減少し、集落の構造は劇的に変化した。地域社会は安全の保証を求め西方へと逃れる一方、他の者は保護者を探し要塞や都市の中に避難地を探し求めた”と説明する。
さらに“新たにやって来たグループも、道路や要塞地といったかつてのローマの設備との結びつきにより、たびたび集落を築き上げた”としている。
つまりMözs-Icsei dülő墓地が位置する地域においては、このような時代背景の中で多くの移民を受け入れていたということだ。
それだけではなく、この地に暮らしていた原住民は移民がもたらした文化をも取り入れていたことが考えられるという。
今回発見された2つ目のグループに分類される外国人においては、12人中10人が長い頭蓋骨を持っていたことがわかっている。
この長い頭蓋骨は幼少期に頭部に布を強く縛り付けることで、頭の形を長く引き伸ばしたような形へと変形させる慣習により形成されたものであるとされる。
一方3つ目のグループにおいては様々な文化が入り混じっていたと同時に、外国人によってもたらされた頭蓋骨を変形させるという慣習がより多くの人にみられるようになっていたという。
全体では96の埋葬地において、変形した頭蓋骨を持つ人は51人にも上ることが明らかになっているということだ。
現在のハンガリーの地においてかつて存在した集落が、移民とその文化をも受け入れていたという興味深い事実。
グローバル化が進み移民と元からその地に暮らしていた人間が対立するような場面が数多く見受けられる現在、Mözs-Icsei dülő墓地とその歴史から学ぶことは多いのかもしれない。(了)
出典:ScienceAlert:This Hungarian Village Welcomed Skull-Shaping Immigrants as The Roman Empire Crumbled(4/29)
出典:Ancient Origins:Cemetery of Deformed Skulls Reveals Chaos After the Fall of Rome(4/30)