エジプトで「失われた黄金都市」を発掘、ツタンカーメンの墓以来の大発見
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エジプトで、大規模な都市の遺跡が発掘され、大きな発見だとして注目を集めている。
王家の谷の葬祭殿を発見する予定だった
エジプト考古省は4月8日、南部のルクソールにおいて「失われた黄金都市」が発見されたと発表した。
この調査を率いたのは元考古省の大臣を務めた考古学者・Zahi Hawass氏が率いたチームで、彼らは7カ月にも及び、この都市や周辺エリアを発掘したという。
当初、この発掘の目的は、1922年に「王家の谷」で発見されたツタンカーメン王の墓の、葬祭殿を見つけることだったそうだ。
しかしその代わりに、今回「黄金都市」の一部を発見することになった。
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壁もほとんど完全な形で残る
この都市は、Hawass氏によって「The Rise of Aten(アテンの夜明け)」と呼ばれ、紀元前1391年から紀元前1353年まで統治した、アメンホテプ3世の第18王朝の時代にさかのぼるという。
エジプト考古省は声明で次のように述べている。
「発掘は2020年の9月に開始されました。それから数週間以内に、発掘チームはとても驚かされました。泥レンガの形が、あらゆる方向から現れたからです。彼らが発掘したのは、非常に保存状態の良い都市の敷地でした。壁もほとんど完全な形で残り、日常生活に使った道具で満たされた部屋もありました」
また都市の南側にはオーブンや保存用の容器を含んだパン屋の跡が見つかり、北側の多くは砂に埋もれたままだったが、行政や住宅地区になっていたという。
ここはルクソール西岸にある、エジプト帝国時代最大の行政及び産業エリアで、街の通りは家の両側にあり、いくつかの壁も高さが3mあったという。
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古代の謎を解くのに役立つ
Hawass氏によれば、アメンホテプ3世が息子のアケナテンと共同摂政を行っている間、この都市はまだ活動していたが、アメンホテプ3世が王位に就いた時、最終的に街を放棄したという。
その後、息子のアケナテンは、カイロの南約250 km、ルクソールの北400 kmにある、現代のミニヤ州に新しい首都アマルナを設立した。
アメリカ・Johns Hopkins大学のエジプト学教授であるBetsy Brian氏は、次のように述べている。
「この発見の重要性は、ツタンカーメン王の墓の驚異的な発見に次ぐものです。失われた都市の発見は、帝国が最も裕福だった時代の古代エジプト人の生活を垣間見ることができるだけでなく、歴史の最大の謎の1つに光を当てるのに役立ちます。その謎とは、なぜアケナテンと ネフェルティティはアマルナに移ることを決意したのか、というものです」(了)
出典元:ABC News:3,000-year-old ‘Lost Golden City’ unearthed in Egypt’s Luxor(4/9)