冷戦時代に核の全面戦争を防いだ男、スタニスラフ・ペトロフ氏が死去
冷戦がピークを迎えていた1980年代に、核兵器による全面戦争を防いだとされる男性が、ロシアで亡くなった。享年77歳だった。
ミサイルが発射されたと警報が鳴る
その男性とはスタニスラフ・ペトロフ氏。旧ソビエトの軍人で、冷戦が続いていた1983年には、中佐として核ミサイルの早期警戒センターで任務についていたという。
そして9月26日の早朝(夜)、センターのコンピューターがアメリカから飛来してくるミサイルをキャッチ。すぐに警報が発せられたそうだ。
無論、冷戦時代は大量の核兵器を保有しているアメリカとソビエトが常にお互いを警戒し、いつでもミサイルを発射できる態勢が整えられていた。
そしてどちらかが先に核ミサイルを発射すれば、一方も報復のために撃ち、その結果全面的な核戦争に突入する可能性が常にあったとされている。
コンピューターの誤判断と報告
ペトロフ氏も当時は、コンピューターからミサイルの警報が発せられれば、自動的にそのことを上官に報告するよう訓練を受けていたという。
しかし警報があったその日、彼はそれをしなかった。
ペトロフ氏はコンピューターの警報が誤りだと判断。そのため司令官へ連絡する代わりに、軍本部で当直勤務をしていた担当者に電話をし、コンピューターが誤判断を下したと報告したそうだ。
そして警報が発せられてから23分後、実際にソビエト領内では何も起きていないことが判明。ペトロフ氏も思わず安堵したとか。
その後の調査によれば誤報の原因は、ソビエトの衛星が雲に反射した太陽の光を、大陸間弾道ミサイルのエンジンと謝って判断したから、と結論づけられたという。
彼の行動が知られたのは後のこと
しかし当時、彼は規律違反に問われ、その後冷遇されたと言われている。しかもペトロフ氏がこのような行動をとり、核の全面戦争を回避したことは90年代後半になってようやく明らかにされたそうだ。
その後、ペトロフ氏は中佐のまま軍を退役。今年の5月19日に、モスクワにある自宅で息を引き取ったという。
そしてつい最近まで彼の死が多くの人々に知られることはなかったそうだ。ご冥福をお祈りしたい。(了)
出典元:BBC:Stanislav Petrov, who averted possible nuclear war, dies at 77(9/18)