エルサレムの“嘆きの壁”の下から、2000年前の隠された地下室を発見
イスラエルの都市エルサレムに建つ“嘆きの壁”。その真下の地下で隠された部屋の存在が明らかとなり、注目を浴びている。
“嘆きの壁”の広場の真下、1400年前の建物から発見
この発見は今月19日、イスラエル考古学庁と嘆きの壁の維持管理等を行う「西の壁遺産協会」によって明らかとなった。
これによると“嘆きの壁広場”の地下に岩盤を掘って作られた3つの地下室が存在することが、考古学者らによって判明したという。
“嘆きの壁”は紀元前20年に建築されたユダヤ教の神殿の外壁の部分で、2000年以上もの時を経て尚現在に形を留めるもの。その前には祈りを捧げることの出来る広場が広がっている。
今回の地下室はその広場の下に位置し、東ローマ帝国時代の約1400年前に建設された巨大な建造物の一部であるモザイク式の床の下から発見された。
3つの部屋は2つの部屋とそれを結び付ける階段と中庭で構成されており、その入り口には扉の蝶つがいやかんぬきが存在したことを示すはっきりとした形跡や、さらに壁には複数の石油ランプを置くための窪みや彫り込まれた棚も見つかっているという。
さらに部屋の中では陶器製の調理用容器や石油ランプの芯、石材で出来たマグカップ、“Qalal”と呼ばれるユダヤ教の石のつぼの欠片、儀式のための水を入れるのに用いられる石によって作られた大きなボウルも発見されたとのことだ。
使用用途は未だわからず
これら室内から発見された物を鑑みると、今回発見された部屋は日常生活に利用されていたことが考えられるものの、その用途はまだはっきりとはわかっていない。
西の壁遺産協会のMordechai Eliav氏はこれについて、“おそらくそれは今は残されない上部に位置する建物のための配膳室として利用された”、あるいは地下で生活するための“石切り場”として使用されていたのではないかという。
また発掘調査を率いた人物のうちの一人であるBarak Monnickendam-Givon氏は、「もう一つの可能性としては、ローマの軍団がエルサレムを制圧した2000年前の包囲攻撃の際、このシステムが隠れるための場所として利用されたということだ」と指摘する。
Monnickendam-Givon氏によると、紀元後70年のローマ人による襲撃の後にユダヤ人は追放され、それから数十年後ローマ人により建造物の再建が始まったという。
謎の解明には数十年の月日がかかる可能性も
一方、今回発見された部屋について判明していないのは、その用途だけではない。
当時建設された建築物は石材によって築かれるのが通常であったが、この部屋は固い岩盤を掘るという建設手法によって築かれている。
しかし部屋がこのような、より労力のかかる手法によって建設されることとなった理由については定かではない。
さらにイスラエル考古学庁の考古学者・Michael Chernin氏は、部屋が発見された建造物についてさえ果たしてそれが宗教的な用途に利用されていたのか、あるいは宗教とは無関係の用途で利用されていたのかわからないことを打ち明ける。
このような謎を明らかとさせるためには、20~30年もの発掘調査を要するとMonnickendam-Givon氏はいう。
またChernin氏は、今後地下から新たに部屋が発見される可能性もあるとしている。
何世紀以上もの時を経て、聖なる地とされるエルサレムの地下から発見された部屋。さらなる調査が進み、これにまつわる謎がより多く解明される日を待ちたいところだ。(了)
出典:The Jerusalem Post:Archaeologists discover 2,000-year-old unique complex by the Western Wall(5/19)
出典:Livescience.com:Hidden underground chambers unearthed near Israel’s Western Wall(5/21)