米連邦最高裁、ギンズバーグ判事が死去、裁判所の前に人々が集まり追悼
アメリカ連邦最高裁判所のルース・ベイダー・ギンズバーグ判事が先日亡くなり、多くの人々がその死を悼み、裁判所の前に集まったという。
膵臓がんの合併症で死亡
ギンズバーグ氏は女性で2番目の最高裁の判事となり、在職期間は27年にも及んだという。
彼女は近年、さまざまな病気と闘い続けてきたと言われている。肝臓腫瘍が発見される前には、結腸や肺も病に冒され、膵臓癌の治療も2回受け、入退院を繰り返していたそうだ。
2019年までに、ギンズバーグ判事は肺の1つから腫瘍を取り除く手術を行い、回復していたとされるが、それまで彼女は病気のために公務を休むことはなかった。
しかし今年の9月18日、転移性膵臓がんの合併症のため、ワシントンD.C.にある自宅で、家族に見守られながら亡くなった。87歳だった。
ワシントンにある連邦最高裁判所の前には、多くの人々が集まり、ギンズバーグ判事の死を悼んだという。またJohn Roberts最高裁長官は声明で次のように述べている。
「私たちの国は、歴史的な偉業を成し遂げた法学者を失いました。最高裁にいる私たちも、大切な仲間を失いました。今日、私たちは悲しみに暮れています。しかしこのことは自信をもって言えます。未来の世代が、私たちが知っている彼女、疲れを知らず、断固たる正義の擁護者としてのルース・ベイダー・ギンズバーグの記憶をとどめ続けると」
The crowd outside of the Supreme Court to honor Ruth Bader Ginsburg is getting huge pic.twitter.com/yQyqJuML58
— philip lewis (@Phil_Lewis_) September 19, 2020
THIS MORNING ON @GMA: Supreme Court Justice Ruth Bader Ginsburg will be honored with a statue in Brooklyn, where she was born in 1933, New York Gov. Andrew Cuomo announced Saturday, one day after Ginsburg’s death. MORE HERE: https://t.co/s1A7oFE4ic pic.twitter.com/0aFR1wpaZd
— Good Morning America (@GMA) September 20, 2020
どんな人物だったのか?
ギンズバーグ判事は1933年3月15日、ニューヨークのブルックリンのフラットブッシュ地区でユダヤ人の家庭に生まれ、彼女の父、ネイサン・ベイダーさんは衣料品店を経営していたという。
彼女の母親、セリア・アムスターさんは、ルースさんが17歳のときに子宮頸がんで亡くなったそうだ。
高校卒業後、ギンズバーグ氏はニューヨーク州にあるコーネル大学に入学。そこで現在の夫と知り合い、卒業後の1954年に結婚する。
その後、彼女はマサチューセッツ州ケンブリッジにある、ハーバード大学ロースクールに入学。ただし当時のことについて、ギンズバーグ判事は「女性はそこにいるべき人として見られていなかった」とニューヨークタイムズに語っている。
夫がニューヨークで就職した後、彼女はコロンビア大学ロースクールをトップで卒業。しかしその後、ニューヨーク市にある大手法律事務所に応募するも女性差別に遭い、就職できなかったそうだ。そして連邦地方裁判所の裁判官となる。
ギンズバーグ判事は大手法律事務所に就職できなかったことについて「伝統的な法律事務所はユダヤ人を雇うよう方向を転換させ始めたばかりでした。しかし女性であり、ユダヤ人であり、母親であるということは、その組み合わせは少し多すぎました」と書いている。
彼女は1963年、ラトガース大学ロー・スクールの教授に就任。当時はまだ珍しい女性関連法の講座を持ったほか、アメリカ自由人権協会(ACLU)で、「女性の権利プロジェクト」を共同で立ち上げたという。1973年にはACLUの顧問弁護士に就任し、性差別を巡る裁判を数多く担当した。そのうち6件は連邦最高裁まで進み、ギンズバーグ氏は最高裁での審理に出廷した。
See the full-page dedication to Ruth Bader Ginsburg that will run in major papers across the country this week: pic.twitter.com/OCY8KaeEgO
— ACLU (@ACLU) September 20, 2020
リベラル派の判事、女性の権利向上に尽力
ギンズバーグ判事はリベラルな立場で、主に女性の権利の向上に努めてきたという。
1993年3月にバイロン・ホワイト判事が引退するとの発表があり、それにより当時の民主党政権は25年以上ぶりにリベラル派の判事を最高裁に送り込むことになったという。そして判事候補として指名されたのが、ギンズバーグ氏だ。
ギンズバーグ判事の就任は、上院において96:3で承認された。中絶について上院でのヒアリングで尋ねられた時、彼女は率直に返答。「憲法の平等保護の保証は、女性が中絶について意思決定者であること、自分の選択でコントロールできることを確実なものにしている」と述べたという。
その後も彼女は最高裁の法廷において同性愛者と中絶の権利、オバマ大統領のヘルスケア法、および死刑の制限を支持してきた。その一方でギンズバーグ判事は、彼女が性差別的であると見なした見解について、男性の同僚判事にしばしば異議を唱えたそうだ。
裁判所が2007年に5:4票で後期中絶手続きの連邦禁止措置を支持した時、男性判事の過半数が「女性は中絶を後悔し、自尊心が失われる可能性がある」と公言したことについて、ギンズバーグ判事は懸念を表明し異議を唱えたという。「そのような考えは、家族内および憲法下の女性の地位に関する古代の概念を反映している」と彼女は後に書いている。
2013年、彼女は同性結婚を司法判断する最初の裁判官となり、2年後に全国で同性婚が合法化される。最高裁では5:4で可決され、彼女も賛成した1人とされている。
2015年、ギンズバーグ判事はスティーブン・ブレイヤー判事とともに、死刑が合憲かどうかを裁判所に検討するよう要請したという。
彼女の死を受け、ツイッターにも、著名人からさまざまな追悼の言葉が寄せられている。
ヒラリー・クリントン氏は「彼女のような人物は二度と現れないでしょう」とツイート。さらにヨーロッパ委員会のUrsula von der Leyen委員長も次のようなメッセージを送っている。
「アメリカと世界全体が、本当に特筆すべき人物、女性の権利や法、正義のパイオニアを失った。彼女は女性が、決定がなされる権力のすべての場所に属していることを証明しました。安らかにお眠りください、ルース・バーダー・ギンズバーグ。あなたの遺産は人々を鼓舞し続けるでしょう」(了)
The USA and the whole world have lost a truly remarkable person and pioneer for women’s rights, law and justice. She proved that women belong in all places of power where decisions are made.
Rest in peace, Ruth Bader Ginsburg. Your legacy will continue to be an inspiration.
— Ursula von der Leyen (@vonderleyen) September 19, 2020
出典元:Bloomberg:Ruth Bader Ginsburg, Second Woman on Supreme Court, Dies at 87(9/18)
参考:BBC:米連邦最高裁のルース・ベイダー・ギンズバーグ判事が死去 リベラル派の87歳(9/19)